お米は作る人によって、味、安全度、信頼感が違うのです。
あさじろうの米は栽培する生産者で選ぶお米です。
「ごはん」が一番しあわせ

日本人にとてお米は食事を表現するものになっています。「ご飯」です。それほど日本人の生活には切り離すことの出来ないものです。「一汁三菜」という言葉で表現されるようにお米を中心にした毎日のご飯が様式的にも文化的にも日本人の生活の中心にあります。

「すべての国民が飢えなく暮らすための主食を生産する」を目的にしている米
「お米は誰が作っても味や品質は一緒」と思っている方は多い
昔、お米は国の管理のもとに配給されていた時代が有りました。
日本国の人々が公平に食べられることを前提にしていました。

食管法と呼ばれる法律は平成7年に廃止されるまで、戦時中の配給制度を土台にして流通や商慣習に影響を与えてきました。なので、今でもスーパーなどで買えるお米は「国民、誰でもが同じように食べられる」ことを目的として、「最大公約数的」なお米として売られているのです。
日本国全体の主食の安定供給という目的は達成していると言えますし、戦後の食糧難を救った法律としては効果を発揮したと言えます。反面、高度成長後の成熟した消費者の選択の自由に答えられなかった一面も有り、人々の心に普遍的に存在する「美味しいお米を食べたい」欲求を未だに満たしきれていないのです。
農業生産物の米は、生産者の栽培方法の違いや、耕作地である田んぼの立地条件や気候条件、土壌の質、水質、すべて違うなかで、工業製品のようにすべてを均一な品質にすることは困難だということが前提条件として存在します。

米は田んぼの立地によって、育てる以前からスタートラインが違う

田んぼには、美味しいお米をさほど苦労せず作れる田んぼと、技術の高い生産者があらゆる手を尽くしてもそこそこのお米しか収穫できない田んぼが存在します。それは、有名な産地かどうかではなく、産地の小さな地区ごと、田んぼごとに存在します。具体的な例を以って説明するには条件が複雑すぎるのですが、優秀な生産者は何代も前からの経験値で調整してる場合が殆どで、美味しいお米のポテンシャルは稲を育てる以前から存在していることになりす。

美味しいお米を栽培する人と、そうでない人

代々受け継いだ、稲作に向く高いポテンシャル田んぼを持つ生産者は、自分の田んぼと自身の栽培技術の価値を正当に認めてほしいと思っているのです。
一般の流通では、そのお米の価値を正当な価値で認められないのです。現代農業と言われる化学農薬と化学肥料を使った農法は、技術がない生産者でもそれなりの米が作れるということです。ただ、そのこめは「標準に達している」だけのことであって「それなり」なのです。そして重要なのは、一般的な流通は、そのどちらの米も混在していて、食べる人が食べたい米を、選択する機会が限られている。ということなのです。

「お米は作る人によって決まる」やっぱりこれです。

どんなに力のある田んぼでも、作る人の技術、情熱がなければ美味しくて安全安心なお米は出来上がらないのです。

そして、高い技術レベルと生産条件の揃った生産者はそんなに沢山いない。ということなのです。

厳選した全国トップレベルの生産者を里のあさじろうは選ぶのです。
生産者から直接仕入れ、契約栽培をお願いした米を販売しています。
ブレンド無しの生産者が思いを込めて栽培した米を、その米だけで販売します。